黄河は見られなかったし、北京原人の洞窟も不発に終わったものの、殷史博物館は想像以上に面白かった。なによりも、象形文字が書かれている亀の甲らが大量に見られたのだから。小学校の社会の資料集で見たまんまだった。
なぜ甲らに?と子どもながらに思っていたのよ。しかし、来たら納得、川のすぐそばの集落でした。大きな川だし、きれいとは言えない。生き物なんて住めるか?→地元の川にたくさんの亀が甲羅干ししている姿を思い出す。→納得。
そうは言っても亀ばかり食べてられないのでしょうか。おそらく牛か鹿のの骨と思われるところにも象形文字。見比べると、亀の甲らの方がつやつやしていてきれいだし、手のひらサイズで見栄えもいいので、占いとか公の場ではちょうどよかったんだろうなーと思う。
後日、黄河沿いに殷以外にもたくさんの集落ができて争いを遠征までして、人を集めてやっていたらしいと知った。紀元前に。縄文よりも前の時代に。そりゃあ、中国4千年の歴史とか言うわな。
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